2009年09月24日
映画「降りてゆく生き方」(武田鉄矢主演)一見の価値有り

映画「降りてゆく生き方」公式HPより転載(本部承認済)
今や年一回の恒例となった移住・交流・田舎暮らしの全国的一大イベント「第5回ふるさと回帰フェア 2009」に9月22日(火)、23日(水)出かけてきました。今年は初めて会場を早稲田大学本部キャンパスに移した性もあったのかもしれませんが、大勢詰めかけた来場者の中に若い人の多さが目立ちました。それは多くの識者が指摘されていましたが、特に昨年の世界金融危機以降潮目ががらっと変わったということ、「田舎暮らし・地方移住」は「団塊の世代」のリタイヤ組だけでなく幅広い年代を巻き込んだ大きなうねりに確実になりつつあるということ、「あこがれから現実」へ、「総論から各論の時代」へと新たな段階に入った現れということではないでしょうか。
ところで22日のフェアでは予想外の収穫がありました。それは最近CSTVの武田鉄矢さんの番組で、武田さん主演の映画「降りてゆく生き方」の存在を知り是非見てみたいと思っていたのですが、図らずもこの日全編を早稲田大の大隈講堂で鑑賞できたことでした。この映画は一般の映画館での公開はなく全国を自主上映で回っていて、信州では今のところ公開予定がなかったからです。
あらすじ
武田鉄矢さん扮する主人公は、外資系ファンドから一大リゾート開発のために、新潟県内とある寂れた過疎のローカル市に巨額の土地買収工作の密命を受けて乗り込む。住民に地域起こしをするといって巧みに近づき、信用を得て首尾良く買収工作に成功すると思われたのだが。
タイトルにある「降りてゆく生き方」とは、今まで日本が拡大経済成長一本槍で誰もが必死に「上がる」ことしか眼中になく、とどのつまりアメリカの拝金主義的グローバル戦略に巻き込まれた挙げ句、それが弾けた途端に未曾有の危機に見舞われて自信をなくし大混乱する日本。その中にあって今後の「日本の地方と都会」や「日本人の生き方」を考えさせる、もはや望むべくもない「上がる」ではなく正に「降りてゆく生き方」のことで、それをこの映画では老若男女誰にでも大変分かりやすくコミカルに描いています。
その後のシンポジウムもかすむくらいのインパクトのあった映画と私は感じました。信州でも上映の機会をと思い事務局に聞きましたところ、今秋の「北信濃小布施映画祭」で上映されるかもとのこと。この映画に今や全国でも地域起こしのアドバイザーとして有名な小布施の市村次夫氏(小布施堂社長)の協力を貰った関係のようです。私も力不足ではありますが、信州での上映実現をお手伝いしたいという気にさせられました。そして小布施の他にも、例えば長野県縦断で長野市や松本市他、各地で多くの方に見ていただきたいとも思います。上映に力を貸しても良いという方、是非ご連絡をお待ちしています。

「第5回ふるさと回帰フェア 2009」会場の早稲田大学大隈講堂
2009年09月13日
八ヶ岳農場音楽祭、一人の移住者の思いが見事に結実!感動

加藤登紀子さんと地元茅野市内の小学生たちとの合唱

八ヶ岳中央農業実践大学校から望む八ヶ岳(2008年7月撮影)
フジTV出身で長くテレビ東京系の「レディス4」の司会を務め、現在は長野県八ヶ岳山麓の原村に移住されているフリーアナウンサーの小林節子さん。
今日平成21年9月13日は小林さんの、地元原村に在る70年の歴史を誇り数多の先進的実践農業人を育成してきた「八ヶ岳中央農業実践大学校」の緑豊かな広大な敷地の上、自らも農的生活を実践する加藤登紀子さんのコンサートで「100万本のバラ」を皆で聴きたい、それもCO2削減を目指し太陽光自然エネルギーの下で、という誠に意欲的な夢が正に実現された1日でありました。そして私もその感動の輪に加わらせていただくことが出来ました。感謝。
多くの関係者の願いが天に通じたのか、会場は前日の雨空とはうって変わって晴天に恵まれた緑の芝生のキャンプ場に、1500人余りの聴衆が詰めかけました。出演は加藤登紀子さんの他に地元諏訪大社御柱木遣り保存会、八ヶ岳と馴染み深い地元のアーティスト、歌手の美咲さん、ネイティブアメリカンフルート奏者のマーク アキクサさん、茅野市立玉川小・宮川小合唱部の皆さんでした。
来年は勇壮な諏訪大社の御柱祭の年、それにちなんで制作された美咲さんの新曲「御柱」も披露されましたが、演歌とポップスを融合した様な曲調と美咲さんの伸びやかな声が相まってこちらも良い感じでした。
小林節子の原村生活 http://www.kobayashisetsuko.com/
美咲オフィシャルサイト http://www.misakix.jp/
八ヶ岳中央農業実践大学校 http://www.yatsunou.jp/
2009年09月02日
注目!あの飯山市の人口減少に歯止めが掛かりつつある様子

今年5月以降、わずかながら飯山市への転入が転出者を上回る状況と話す、石田正人飯山市長へのインタビュー記事(8月21日付、日経長野版より)
毎年の人口減少に頭を痛めていた長野県の北部、豪雪地帯で有名なあの飯山市の人口減少に歯止めが掛かってきたようなのです。これは全国的にも本当に画期的なことだと思います。北陸新幹線の2014年度開通という追い風があるにせよ、特別大きな工場が進出したり大規模住宅団地ができたわけでもないのに、むしろ少子化や長引く不景気でスキー場や事業所の閉鎖が相次ぐなど、アゲンストの風が吹きまくる中何故なのでしょうか。
それはひとえに全国に先駆けて官民挙げてあの手この手で移住者の受け入れ事業を、地道に実施してきたからに他ならないようです。そしてその運動は今から20年近く前、石田現飯山市長が地元JAの組合長だった頃、当時の小山邦武飯山市長と「人口減少を何とか食い止めなければ飯山の明日はない」との危機感から、お互い意気投合したことがきっかけで始まっています。観光と農業を結びつけたグリーンツーリズムや、森林セラピー、農業体験・長期滞在プログラム、空き家・古民家斡旋、HPや大都会での直営・相乗りを含めて各種移住説明会の開催などによる情報発信、最近では移住交流ワンストップサービス「いいやま住んでみません課」の創設や移住者優遇制度の導入など、全国に先駆けたその施策は枚挙にいとまがありません。そして今その活動の成果が着実に実りつつあるということなのだと思います。
それともう一つ見逃してはならないことが、地元飯山の皆さんの暖かい受け入れの気持ちでしょう。私の知る何人もの移住者の方が皆異口同音にその事を指摘されます。それは地元民として人口減少への強い危機感が共有されていることと、古くから飯山はスキー場などの開発で移住者を多数受け入れることで、活性化されてきた経験を持つからなのではないかと思われます。飯山で移住者は珍しくないのです。いずれにしましてもこのご時世に拍手喝采の出来事であります。