当NPO法人は任意の「NPO」として再スタートいたしました



 あけましておめでとうございます。
 最近のメディアでは「団塊世代の田舎暮らし」の話題は、すっかり落ち着いてしまったという感じですが、田舎暮らしの相談会や田舎物件の不動産屋さんを覗いてみると確実にその動きは定着しつつある感が有ります。実際移住者が自らが持つノウハウや経験、人脈を活かして、地元では発想も出来なかったような活動を始めて、地域が大いに活性化される例も既に県内あちこちに出てきています。更に一昨年の「リーマンショック」以降は、雇用不安などから都会暮らしに疑問を抱く若年層にまでその傾向は広がりつつあります。従って今は地元に就職口が非常に少ないということを解決することが一番の課題と言えましょう。
 さてそういった「今や田舎暮らしは総論から各論の時代に入った」という状況を受けて、当NPO法人の存在意義を見直した結果、所期の目標であった「信州への移住に対する高い関心」という状況はある程度到来した一方、当NPO法人が今後各論的活動に乗り出すことは無理と判断した結果、この度法人を解散し改めて任意組織の「NPO」として再出発いたしました。今までの当NPO法人に対する皆様のご支援・ご協力に深く感謝いたしますと共に、これからも変わらず「信州への移住」に関心をお持ち続けて頂ける様お願い申し上げます。最後に皆様のご健康とご多幸ご繁栄を祈念して新年のご挨拶と致します。
  


2010年01月01日 Posted by 胃がん退職者 at 23:54Comments(0)地域起こし

「田舎暮らし・移住」を安曇野・池田町で考える


池田町から北アルプスを望む


「田舎暮らし、付き合い方は?」をテーマに、信濃毎日新聞社主催の地域討論会「Waの会」が今日23日、北安曇郡池田町の創造館で開催され参加してきました。
池田町から望む雪を頂いた北アルプスは大変美しく感動ものでした。概して雄大な北アルプスの麓に広がる池田町をはじめとした安曇野は、美しい景観と豊かな自然環境に恵まれたところです。県内の移住希望先で1,2を争うのも肯けます。


分科会では「信州って閉鎖的?地域とどうつき合う」をテーマにトークが持たれました。
安曇野はベッドタウン化もしていて完全な田舎ではなさそうです。過疎化していないのですから行政に取って移住問題の優先順位も低い訳です。


そんな中で田舎暮らしの問題も色々と提起されました。
・果樹園に隣接した分譲地に移住してきた新住民が、消毒にクレームを付けた
・朝早くからの田んぼのししおどしの音やカエルの音がうるさいので何とかならないか
・自分のことは自分でするからと自治会には入らない新住民が半数を超えた etc


一般的には新しく入ってきた人が、「郷に入っては郷に従え」の例え通りで、「入れていただく」の謙虚な気持ちでその土地にとけ込む努力が必要でしょうし、受け入れる方でも広い心でそれを受け止める寛大な気持ちが必要なのだと思います。  
例外はあるとは思いますが、私の今まで見聞きした経験では一般的に「過疎化が進んだ地域ほど移住者に優しい」ということが言える気がします。


それと私にとってはこの会場で私のブログを見て連絡をくれた、善光寺門前で空きや問題の解決に取り組む信州大学工学部の現役の学生さんに初めてお会いできたのは嬉しい出来事でした。まさに「よそ者・馬鹿者・若者が地域を変える」を地で行っている感じで期待が持てました。



  


2009年11月23日 Posted by 胃がん退職者 at 22:28Comments(2)田舎暮らし

映画「降りてゆく生き方」(武田鉄矢主演)一見の価値有り


映画「降りてゆく生き方」公式HPより転載(本部承認済)


今や年一回の恒例となった移住・交流・田舎暮らしの全国的一大イベント「第5回ふるさと回帰フェア 2009」に9月22日(火)、23日(水)出かけてきました。今年は初めて会場を早稲田大学本部キャンパスに移した性もあったのかもしれませんが、大勢詰めかけた来場者の中に若い人の多さが目立ちました。それは多くの識者が指摘されていましたが、特に昨年の世界金融危機以降潮目ががらっと変わったということ、「田舎暮らし・地方移住」は「団塊の世代」のリタイヤ組だけでなく幅広い年代を巻き込んだ大きなうねりに確実になりつつあるということ、「あこがれから現実」へ、「総論から各論の時代」へと新たな段階に入った現れということではないでしょうか。


ところで22日のフェアでは予想外の収穫がありました。それは最近CSTVの武田鉄矢さんの番組で、武田さん主演の映画「降りてゆく生き方」の存在を知り是非見てみたいと思っていたのですが、図らずもこの日全編を早稲田大の大隈講堂で鑑賞できたことでした。この映画は一般の映画館での公開はなく全国を自主上映で回っていて、信州では今のところ公開予定がなかったからです。


あらすじ
武田鉄矢さん扮する主人公は、外資系ファンドから一大リゾート開発のために、新潟県内とある寂れた過疎のローカル市に巨額の土地買収工作の密命を受けて乗り込む。住民に地域起こしをするといって巧みに近づき、信用を得て首尾良く買収工作に成功すると思われたのだが。


タイトルにある「降りてゆく生き方」とは、今まで日本が拡大経済成長一本槍で誰もが必死に「上がる」ことしか眼中になく、とどのつまりアメリカの拝金主義的グローバル戦略に巻き込まれた挙げ句、それが弾けた途端に未曾有の危機に見舞われて自信をなくし大混乱する日本。その中にあって今後の「日本の地方と都会」や「日本人の生き方」を考えさせる、もはや望むべくもない「上がる」ではなく正に「降りてゆく生き方」のことで、それをこの映画では老若男女誰にでも大変分かりやすくコミカルに描いています。


その後のシンポジウムもかすむくらいのインパクトのあった映画と私は感じました。信州でも上映の機会をと思い事務局に聞きましたところ、今秋の「北信濃小布施映画祭」で上映されるかもとのこと。この映画に今や全国でも地域起こしのアドバイザーとして有名な小布施の市村次夫氏(小布施堂社長)の協力を貰った関係のようです。私も力不足ではありますが、信州での上映実現をお手伝いしたいという気にさせられました。そして小布施の他にも、例えば長野県縦断で長野市や松本市他、各地で多くの方に見ていただきたいとも思います。上映に力を貸しても良いという方、是非ご連絡をお待ちしています。




「第5回ふるさと回帰フェア 2009」会場の早稲田大学大隈講堂
  


2009年09月24日 Posted by 胃がん退職者 at 00:35Comments(1)地域起こし

八ヶ岳農場音楽祭、一人の移住者の思いが見事に結実!感動


加藤登紀子さんと地元茅野市内の小学生たちとの合唱



八ヶ岳中央農業実践大学校から望む八ヶ岳(2008年7月撮影)


フジTV出身で長くテレビ東京系の「レディス4」の司会を務め、現在は長野県八ヶ岳山麓の原村に移住されているフリーアナウンサーの小林節子さん。
今日平成21年9月13日は小林さんの、地元原村に在る70年の歴史を誇り数多の先進的実践農業人を育成してきた「八ヶ岳中央農業実践大学校」の緑豊かな広大な敷地の上、自らも農的生活を実践する加藤登紀子さんのコンサートで「100万本のバラ」を皆で聴きたい、それもCO2削減を目指し太陽光自然エネルギーの下で、という誠に意欲的な夢が正に実現された1日でありました。そして私もその感動の輪に加わらせていただくことが出来ました。感謝。
多くの関係者の願いが天に通じたのか、会場は前日の雨空とはうって変わって晴天に恵まれた緑の芝生のキャンプ場に、1500人余りの聴衆が詰めかけました。出演は加藤登紀子さんの他に地元諏訪大社御柱木遣り保存会、八ヶ岳と馴染み深い地元のアーティスト、歌手の美咲さん、ネイティブアメリカンフルート奏者のマーク アキクサさん、茅野市立玉川小・宮川小合唱部の皆さんでした。


来年は勇壮な諏訪大社の御柱祭の年、それにちなんで制作された美咲さんの新曲「御柱」も披露されましたが、演歌とポップスを融合した様な曲調と美咲さんの伸びやかな声が相まってこちらも良い感じでした。


小林節子の原村生活 http://www.kobayashisetsuko.com/


美咲オフィシャルサイト http://www.misakix.jp/


八ヶ岳中央農業実践大学校 http://www.yatsunou.jp/

  


2009年09月13日 Posted by 胃がん退職者 at 22:53Comments(3)信州の話題

注目!あの飯山市の人口減少に歯止めが掛かりつつある様子


今年5月以降、わずかながら飯山市への転入が転出者を上回る状況と話す、石田正人飯山市長へのインタビュー記事(8月21日付、日経長野版より)


毎年の人口減少に頭を痛めていた長野県の北部、豪雪地帯で有名なあの飯山市の人口減少に歯止めが掛かってきたようなのです。これは全国的にも本当に画期的なことだと思います。北陸新幹線の2014年度開通という追い風があるにせよ、特別大きな工場が進出したり大規模住宅団地ができたわけでもないのに、むしろ少子化や長引く不景気でスキー場や事業所の閉鎖が相次ぐなど、アゲンストの風が吹きまくる中何故なのでしょうか。


それはひとえに全国に先駆けて官民挙げてあの手この手で移住者の受け入れ事業を、地道に実施してきたからに他ならないようです。そしてその運動は今から20年近く前、石田現飯山市長が地元JAの組合長だった頃、当時の小山邦武飯山市長と「人口減少を何とか食い止めなければ飯山の明日はない」との危機感から、お互い意気投合したことがきっかけで始まっています。観光と農業を結びつけたグリーンツーリズムや、森林セラピー、農業体験・長期滞在プログラム、空き家・古民家斡旋、HPや大都会での直営・相乗りを含めて各種移住説明会の開催などによる情報発信、最近では移住交流ワンストップサービス「いいやま住んでみません課」の創設や移住者優遇制度の導入など、全国に先駆けたその施策は枚挙にいとまがありません。そして今その活動の成果が着実に実りつつあるということなのだと思います。


それともう一つ見逃してはならないことが、地元飯山の皆さんの暖かい受け入れの気持ちでしょう。私の知る何人もの移住者の方が皆異口同音にその事を指摘されます。それは地元民として人口減少への強い危機感が共有されていることと、古くから飯山はスキー場などの開発で移住者を多数受け入れることで、活性化されてきた経験を持つからなのではないかと思われます。飯山で移住者は珍しくないのです。いずれにしましてもこのご時世に拍手喝采の出来事であります。  


2009年09月02日 Posted by 胃がん退職者 at 00:25Comments(2)移住

“よそ者”が「信州・高遠」を変える!?高遠ブックフェスに思う


高遠町風景



「本の家」 http://hon-no-machi.com/



シンポジウム風景



高遠町近辺の田舎暮らし物件の斡旋に実績豊富な地元(有)明和不動産の女将さん


2009年8月29日(土)、30日(日)高遠町(現長野県伊那市高遠町)で開催された、第一回高遠ブックフェスティバルに私は30日参加してきました。2007年この高遠の町に「本の家」という小さな古本屋さんが開店しました。作家兼ネット古書店主の北尾トロさんが中心になって、日本にもイギリスのウェールズにあるヘイ・オン・ワイという大変小さな田舎町で、古本屋さんが軒を連ねる風景を、是非日本にも実現したい思いからでした。2年後その夢に近づくべく第一回高遠ブックフェスティバルは開催されました。
高遠は桜の季節大勢の観光客が訪れますが、意外にも商店街には余り人が流れてこないとのこと、今回は街中で各種イベントが行われたため商店街は大勢の人で賑わいました。それと「地元では絶対と言っていいほどこの発想は出てこなかった、正によそ者ならではの発想による活性化策だ」と、イベントに参加した多くの地元の方も感心していました。


街中を散策している最中、「信州・高遠田舎暮らし物件」というポスターを掲げている地元の不動産屋さんを見つけて寄ってみました。女将さんが気さくに応対してくれました。それによると今までに100軒以上の地元田舎物件の斡旋の実績があるそうです。大半はリタイヤ組だが若い人もたまにある、程度の良い中古物件で1000万円程度の希望が多いが、物件数は限られ順番待ち、移住しても地元にとけ込めるかを考慮して紹介している、都会と違って田舎ではトラブルの多い賃貸物件は少ない、1000万円程度なら皆さん購入希望するとのことでした。
(有)明和不動産 http://www.geocities.co.jp/meiwa7777/

  


2009年08月31日 Posted by 胃がん退職者 at 00:20Comments(2)地域起こし

初の「緑提灯」紹介本「緑提灯でいっぱい」が家の光から発売


「緑提灯でいっぱい」 家の光協会刊 1200円税別


この度、」「緑提灯」初の紹介本が全国書店で発売されました。
日本のあまりにも低い食糧自給率を少しでも高めるための奇抜なアイデアとして、稲の研究者で現中央農業総合研究センター(農水省所管・つくば市)所長の丸山清明さんが発案、北海道小樽市で2005年4月に第1号の緑提灯が掲げられてから丁度4年。今や全国で加盟2000店に間もなくなろうとする程の大きな運動に盛り上がってきた「緑提灯」ですが、これまで運営は全くのボランティアで、広告宣伝も一切無く口コミとメディアの紹介だけで広がってきたので、その詳細を知ることは公式HPぐらいしかありませんでした。今回待望の解説本の発刊です。


長野県からも2軒のお店が紹介されています。
さぞかし編集者も選択に困ったであろうことは想像に難くありません。
また「緑提灯」は、私が事務局を勤める「長野緑提灯の会」設立をはじめ、全国各地で商店会なども巻き込んでの「緑提灯」の勝手連的応援活動が活発化し始めて、これまでの点的拡散から草の根運動的な広範囲の面的な拡がりの段階に入ったことも、この本でうかがい知ることが出来ます。  


2009年03月29日 Posted by 胃がん退職者 at 21:18Comments(4)緑提灯

祝「おくりびと」オスカー、原作「納棺夫日記」は信州で製本発


納棺夫日記 (映画「おくりびと」原作本) 青木 新門著 桂書房刊


ついに話題の映画「おくりびと」がアメリカの第81回アカデミー賞・外国語映画賞でオスカーを獲得しました。同部門での日本映画の受賞は史上初の快挙だそうです。おめでとうございます。


実は私の勤務する会社で、この原作本である「納棺夫日記」の製本を平成5年より担当させていただいて来ました。今まで派手さはないけれど着実に版も重ねてきております。私は今も初版を当社で製本したときに「大変変わった本だなあ」と、強く印象づけられたことを思い出します。


出版元は富山という地方の小さいけれど良書を地道に刊行している「桂書房」さん、印刷は富山県内でも書籍印刷に定評のある黒部市の「菅野印刷」さん。そして当社の製本と、地方にあっても中央に決して負けない陣容だったと思います。もちろん何よりも著者の青木新門さんがあったればですが。


当社のオーナーも最近映画を見て大変感激したそうで、先週も社員に是非映画を見るようにと訓辞があったばかりでした。
信州にある当社がお手伝いした本が世に出て多くの方に読まれ、時には映画の原作にもなってさらに多くの方に感動をもたらせてくれれば、縁の下の力持ち?としてはこの上ない喜びです。  


2009年02月23日 Posted by 胃がん退職者 at 16:13Comments(3)イベント

春を間近にしたこの時期になると思うこと


「さくら道」(風媒社 刊)


毎年桜の咲く春を間近にしたこの時期になると、思い出すことがあります。
それは平成6年春、私が勤務する長野市の製本・印刷会社で製本した「さくら道」という本で、初めて「へえ、こんな人がいたんだ」と知った逸話です。(残念ながら奥付に記されている製本会社は別の会社の名前になっていますが。一応念のため。)


その内容は、体をガンに冒されながらも47歳の生涯を、名古屋から金沢までの太平洋と日本海を桜で結ぼうと、2000本の桜を植え続けたその路線の長距離定期バスの車掌さん、佐藤良二さんと、それを支えた佐藤さんのお仲間の方々の話です。同じ平成6年には神山征二郎監督により「さくら」というタイトルの映画にもなりました。


そしていつか私はこの本の舞台である名古屋から金沢まで、全線を移動する桜前線に沿って咲く桜を、是非訪ねて旅してみたい思いにも駆られるのです。


以上は信州の話題では有りませんが、しかし私は信州にあって、全国から寄せられる多くの思いの詰まった様々な本作りのお手伝いをさせていただいていて、大変感慨深い思いです。


  


2009年02月22日 Posted by 胃がん退職者 at 23:18Comments(0)魅力ある人々

世界小料理サミットで「緑提灯」のオフ会開催


主催者代表で挨拶する放送作家の わぐりたかし さん



「緑提灯」を代表して挨拶する提唱者の丸山清明さん


平成21年2月11日、東京有楽町の東京国際フォーラムで開かれた「世界小料理サミット2009」に併せ、「緑提灯」のオフ会(風)が開催されましたので、私も「長野緑提灯の会」を代表して参加してきました。


「世界小料理サミット2009」は主催の日本フードジャーナリスト会議代表の放送作家 わぐりたかし さん曰く、同じ会場の東京国際フォーラムで同時に行われていた、『世界料理サミット』のパロディーで、「スーパーシェフの大向こう受けする『大料理』ばかりが『料理』ではない。もっと身近な日々の『小料理』にもスポットを当てたい」との思いから開催されたとのこと。
「緑提灯」関係では、提唱者の丸山清明さん(農研機構理事、中央農業総合研究センター所長)、事務局の水島明さんや「緑提灯応援隊」など関係者が多く駆けつけました。


何か奥ゆかしい「小料理」という言葉、日本人の個性を有る意味表している言葉の一つかもしれません。
世界的に日本食ブームの昨今、将来的には「小料理 KO-RYOURI」が世界共通語になる日が来るのかもしれないという気にさせてくれた会でした。
  


2009年02月15日 Posted by 胃がん退職者 at 20:58Comments(0)緑提灯

熱気の第4回長野県産直・直売サミットで「緑提灯」を紹介


上田市丸子農産物直売加工センター「あさつゆ」運営組合長 伊藤良夫さんの講演風景


平成21年2月9日~10日長野県東御市で2日間に亘って、第4回長野県産直・直売サミットが開催されました。会場となったJAラ・ヴェリテには定員400名を大幅に上回る多くの産直・農産物や行政の関係者が詰めかけ、大いに盛り上がった議論が交わされました。
席上私も地産地消のシンボル「緑提灯」を、会場で紹介させていただきました。今長野県内各地で活発化する農産物直売所でも、「緑提灯」を掲げるところが増えることを期待しています。
また私は、農産物を作る人がいて流通させる人・加工する人・売る人がいて、最終的にはそれを食べる人・消費する人がいて初めて完結するので、今までこのサミットに参加していない消費者代表や、今その重要性が特に言われている食育に携わる栄養士・調理師・病院など医療関係者・給食関係者などの参加も重要と考えますので、誠に僭越ではありましたがそれも提言させていただきました。  


2009年02月15日 Posted by 胃がん退職者 at 11:18Comments(0)緑提灯

松本のブログ村に参加、ナガブロ仲間の厚い歓待に感謝


松本城


2月7日(土)午後7時より、松本市の松本城に程近い、中央2-4-3伊創作居酒屋 the ajito Style(アジト・スタイル)で行われた、「勝手にブログ村夜の部in松本」に参加してきました。
松本で行われるオフ会への参加は初めてでしたが、つのきちさん始め幹事や参加の皆さん大変お世話になりました。長野から来たと言うことも有ってでしょうか、席上「緑提灯」のことも宣伝させていただく機会も設けていただくなど、本当に良くしていただいて感謝しております。
日頃ブログだけでしか知らなかった皆さんと話す体験は、大変新鮮な感覚でした。また機会が有れば誘ってください。そして長野でも開催の折にはこちらへもどうぞお出かけ下さい。お待ちしております。
  


2009年02月08日 Posted by 胃がん退職者 at 20:54Comments(4)イベント

「緑提灯」提唱者の丸山清明さんに外食アワード2008特別賞


平成20年6月22日、長野市で開催された「長野緑提灯の会」発会式に駆けつけてくださった、「緑提灯」提唱者の中央農業総合研究センター(つくば市)所長の丸山清明さん(左)


全国の外食関係報道機関25社で構成される外食産業記者会が毎年、外食産業界でその年に活躍した人、話題になった人を表彰する今年の「外食アワード2008」に、日本マクドナルド会長の原田泳幸氏ら5人と並んで、丸山清明さんが1月23日選出されました。詳しくは http://www.g-kishakai.net/release06.html


今年は年明け早々からビックニュースが飛び込んで来ました。今年も昨年に増して「緑提灯」がメディアで取り上げられる機会が増える予感がします。全国的にもそして我が長野県でも、コンスタントに加盟店が増えているようです。当方への問い合わせも増えています。広がれ「地産地消」の輪!


「緑提灯」   


2009年01月26日 Posted by 胃がん退職者 at 23:37Comments(4)緑提灯

「東京発信州行き鈍“考”列車30年」(扇田孝之著)を読む


「東京発信州行き鈍“考”列車30年」 扇田孝之著・現代書館刊 定価1800円・税別


現東京都副知事の猪瀬直樹氏が好んで使う、「時速4キロと時速50キロの文化」という概念の提唱者が、大町市在住の地域社会研究家であるこの本の著者扇田孝之氏です。
著者は若き法哲学の学究生として毎夏長野県の学生村で過ごすうち、信州がすっかり気に入ってしまい、ついには今から30年前、自ら大町市郊外簗場(やなば)の山荘経営者として、東京から移住してしまった経歴をお持ちです。当時はほとんどの住宅に冷房装置がなく、長野県内には都会の暑い夏を避けて勉強するための学生村や学者村が、数多く誕生していたのです。


当時の移動は徒歩(時速4キロの文化)と公共交通機関の時代、その後の高度経済成長の伸展と共に到来した車社会(時速50キロの文化)への劇的な変遷は、著者が移住した信州の片田舎にも大きな変化がもたらされました。
その中にあって著者はそれを非常に冷静な目で見つめます。と同時にその目と行動は、単なる信州の山荘オヤジの域を超えて、白馬国際映画祭のプロデュースなど全国・世界へと幅広く展開されました。


大変広い視野と、昨日今日ではない長い実体験が相まっての都会暮らしと田舎暮らしへの洞察など、その指摘には大いに納得させられます。そして今将に未曾有の世界的大不況の到来という先の見えない閉塞感の中にあって、私たちの持つ従来の都会と田舎に対する価値観も根底から覆るかもしれない状況に、著者が示す多くの示唆は大変有用に感じました。


またあれから30年を経て、バブルの頃の喧騒も嘘のように田舎から去った今日、著者夫妻の落ち着いた日々の暮らしの中で感じ取れる、身の回りで起きる微妙で繊細な四季や自然の変化に対する細やかな描写のなかに、著者の愛する信州に寄せる熱い思いを感じることも出来ました。


さらに私が思うに、特に著者は随筆家として大変な美文家で、無駄・無理のない流れるような文章と豊かな表現力にも大いに感心させられました。是非ご一読をお勧めいたします。


  


2009年01月17日 Posted by 胃がん退職者 at 21:30Comments(0)田舎暮らし

「消費者はどこにいる?」3 これからは内需・心・謙虚の時代


長野市と須坂市境界辺りから望む北信五岳の内、左から飯縄山、黒姫山、妙高山(平成20年1月撮影)


さて現状をいくら細かく把握したところで、将来への展望を欠けば余り意味はありません。私には「神のみぞ知る」事柄にとやかく言える資格は有りませんが、今後の自分の行動を決める意味において、必要な限りで一応の仮説を立ててみたいと思います。従ってあくまで私個人の見解として、「こんな考え方も有るんだ」程度に思っていただけたら幸いです。


アメリカ発の世界大不況とそれに付随して引き起こされた円高で、今後しばらく日本は、世界の特にアメリカの消費を当てにすることは出来ないでしょう。従って日本の内需(有効需要)を盛んにすることが最も肝心だと思います。今までおろそかにされて来た内需産業の活性化と消費の喚起が急務です。医療や介護などの福祉、建設・土木、環境技術、教育、出版、観光(国内)、食品、農業等。
建設・土木と言っても従来型の箱物や道路をどんどん造るというのではなく、今重大な問題と成りつつある、老朽化した学校など既存建築物や橋など構造物の耐震構造化や補修、道路の電線地中化などへの思い切った施策です。更に環境適応はあらゆる産業の将来の浮沈が掛かっていると言っても過言ではないでしょう。更に農業は多くの識者が最近指摘しているように、我が国の現状で40%しかない食糧自給率を高める必要上、及び雇用の受け皿としても最も有望な成長分野と言えると思います。(先進諸国で食料自給率が日本ぐらい低い国は有りません。今後深刻化すると思われる食糧不足、及び低経済成長下で国民の食料を過度に他国に依存することは大変危険です)


次に心の問題です。アメリカのバブルが弾けるまでは、「オオカミ少年の喩え」のように、「いつか来るぞ来るぞ」と言われて不安でびくびくしていたのが、考え様によってはもう既に来てしまったのですから、もちろん更に悪くなると言うことも否定は出来ませんが、いずれにしてももはや「腹をくくって行くしかない」のは間違い有りません。「こうなったからには腹が据わって色々なことに取り組める」と考えたら良いのではありませんか。


そして最後は低成長下では特に、「自分だけ良ければ良い」との「弱肉強食」的単純な資本主義的道理は、考え直す必要が有りそうです。これからはわずかな儲けをみんなで分かち合う「謙虚」な態度が必要だと思います。結局自社の利益だけを考えて、派遣労働者などを増やしてきた結果、企業の業績はかつて無いほどに上がったと思った途端、日本に健全優良な消費者が少なくなっていた反動で消費が落ち込み、自分たちの首を絞めるようになってしまったのがその典型です。そして働く側にも例えばワークシェアリングなど、仕事をみんなで分かち合う仕組みが早急に必要だと思います。この辺は政治が解決しなければいけないことなのかもしれませんが、政治に丸投げしても解決はしないでしょう。「自分だけではなくどうしたら他人にも良くなってもらうか」「他人が良くなると自分も良くなるという発想」、一人一人が自分の問題と考え行動することが肝要だと思います。


人間の究極の目標は、「ロボットにみんなやらせて人間は遊んで暮らすことでしょうか?」。私は今回の世界同時不況で、今将に「人間の在りようを再構築する必要に迫られている」気がしてなりません。  


2009年01月04日 Posted by 胃がん退職者 at 00:11Comments(0)環境・食と農

「消費者はどこにいる?」その2


長野市と須坂市境界辺りから望む北信五岳の内、左から飯縄山、黒姫山、妙高山(平成20年1月撮影)


ベルリンの壁崩壊から今年で丁度20年、ソビエト崩壊から17年、中国の本格的市場経済導入から16年、資本主義が人類に幸福をもたらす唯一のシステムとして、我が世の春を謳歌してきたはずでした。それが今やその資本主義がもたらした、世界中に未曾有の大不況という暗雲が重く垂れ込める始末は一体どうしたことでしょうか。
一方で日本のバブルが弾けてから約17年経ちました。その間日本は実質的なゼロ金利政策により、対外的には世界中、特にアメリカに対しただ同然の資金を過剰に供給し続け、それが今回のアメリカバブル創出の淵源となったことは多くの識者により指摘されています。
そして国内では中国の安い労働力との競合上、規制緩和の一環で人件費の安い多量の派遣労働者などを生み出して、それが今日の派遣切りなど大きな社会不安を生み出す原因となってしまいました。
これは将に日本が国内において「健全・優良な消費者の創出」を怠り、全てアメリカを中心とした海外にその消費をお任せしてきたツケが、今回って来ているからに他なりません。振り返ってみたら少子高齢化の進展とのダブルパンチで、国内に日本を支える「健全・優良な消費者」が育っていなかったということになります。日本人はバブルが弾けて以来自信を失い、人件費のべらぼうに安い中国との競争で、蟻のようにただひたすら必死になって働いてきた。そしてその果実はせっせせっせと、資本主義の宗主国・キングであるアメリカに貢いできたという図式なのかもしれません。
  


2009年01月02日 Posted by 胃がん退職者 at 22:57Comments(0)環境・食と農

迎春 「消費者はどこにいる?」その1


長野市と須坂市境界辺りから望む北信五岳の内、左から飯縄山、黒姫山、妙高山(平成20年1月撮影)


あけましておめでとうございます。
さて昨年アメリカで金融・住宅バブルが弾けて以降、世界が100年に一度と言われる程の同時大不況に陥ってしまいました。今年はそこから立ち直るどころか実体経済にますます波及して、もっと悪くなるのではというのが、年末年始のマスコミのもっぱらの予想のようです。
その中でかなり多くの識者のコメントや論調が「日本の食と農」に触れていて、「これからは農業だ」とか、中には「これからの日本には農業しかない」とか「農業が日本を救う」と言うような趣旨まで述べる評論家がいたのが、色々な意味で大変気になりました。いずれにしてもつい半年や1年前とは全く様変わりの感です。


そもそもアメリカのバブルが弾けたのは、世界自由貿易体制・拡大経済成長の絶対条件であった、「資源と食料は無限な位ふんだんに有る」「成長することは良いことだ」という大前提が、「資源・食料の枯渇」「地球温暖化が進む事」への不安から世界中の人々が疑問を持ち始めて、その結果実際に有限である「資源・原料と食料」が高騰した事をきっかけに、バブルの極みであったアメリカ経済への信用が崩れてしまったからに他なりません。ただ今回の高騰の実態は投機マネーの流入が直接の原因だったようです。自らの欲のために墓穴を掘ってしまったのかもしれません。が、遅かれ早かれの段階だったでしょう。今までのような経済成長をそのまま続けることは、世界的にとても難しい段階に入ったと言えると思います。


ただ最近「地球温暖化はうそだ」というような論調も見受けられますが、それらの趣旨は、「今までの地球気候変動の範囲内であると思われる」とか、「厳密な意味で地球温暖化はまだ実証されていない」というもので、「絶対地球温暖化はしない」と断言するものではなさそうです。それはそうです、この「神のみぞ知る」の類の事で、誰も厳密には「絶対地球温暖化するともしないとも」断言は出来ないでしょう。でも「自分の生きている内にその責任を取らされることはないだろう」と私も含めて皆が思っているかもしれませんが、そうなってからでは遅いのではありませんか。確かに最近の環境への取り組みの中には、ややもするとどうかなと首をかしげたくなるものも見受けられます。しかし「そもそも人間の存在自体が最も地球環境に悪い」という矛盾の上に人類は存在していますから、無視するのではなくより謙虚になって少しでも気をつけた方がましなのではないでしょうか。そうしないと恐竜の二の舞になりかねないような気がします。
  


2009年01月01日 Posted by 胃がん退職者 at 11:57Comments(0)環境・食と農

「世界大不況が一番のエコ」という皮肉


エコに取り組む産官学関係を一同に結集した「エコプロダクツ2008」が、12月11日[木]~13日[土] 東京ビッグサイトで開催されました。
主催者側の発表によれば、3日間の会期中に17万人余りの来場者があり、過去10回の中で出展者・来場者共に最大を記録したそうです。
特に目立ったのが引率の先生に付き添われて来場した小中高校生の多さでした。 平成14年度~15年度に掛けて始まった「総合学習」の取り組みが大きいと思われます。教育現場での環境問題への関心の高さがうかがい知れます。そして今の子ども達が社会を支える頃は、環境問題が様々な価値判断基準の根幹を成すのではないかという感にさせられました。



ご存じ「緑提灯」も登場



一流企業もこぞって環境問題に対する取り組みを積極的にアピール



これは何でしょう? スポーツ用品の廃品で作った鶏のオブジェです(NPO グローバル・スポーツ・アライアンスのブースにて)


  


2008年12月21日 Posted by 胃がん退職者 at 19:04Comments(5)環境・食と農

本当は「『限界集落』=悲惨 なんかじゃない!」を小谷で実感


昨日6日、午後1時から長野県の北部、栂池(つがいけ)高原のある小谷(おたり)村役場多目的ホールで、「限界集落」での「山里のきずな、守るには?」をテーマに講演会と参加者全員参加の茶話会が、地元信毎(信濃毎日新聞)地域活動部の主催で開催されました。私も放送作家・日本記念日協会代表の加瀬清志さんと一緒に参加してきました。


今回、信毎が一年間に亘って連載した、「限界集落」の小谷村大網(おあみ)地区に常駐した記者からの写真&ルポ「山里のきずな」が終了したのを記念して、その二人の担当記者も交えて第三回地域討論会「Waの会」として開催されたものです。


地元大網地区の住民の皆さんも大勢駆けつけられました。その席上、加瀬さんが住民の方に「限界集落」と呼ばれることについて感想を挙手でお聞きしたところ、約3分の2の方が「いや」、3分の1の方が「仕方ない」と答えられました。


実際1年間現地で住んで取材した記者の話でも、一般に受け取られる「悲惨な限界集落」のイメージとは遠く、確かに有数の豪雪地帯だけに大変な厳しさはある訳ですが、その分住民皆が助け合って元気で暮らしている様が、こちらにも良く伝わってきました。会場に掲示されていた記録写真には、子どもから老人まで多くの笑顔が映っていました。お茶と手作りの漬け物を貰いながらの茶話会でも、皆さん大変明るくお元気だったのが印象に残っています。



三つの分科会形式で行われた茶話会風景


  


2008年12月07日 Posted by 胃がん退職者 at 17:31Comments(2)信州の話題

不景気と田舎暮らし希望者の関係は?




今日11月30日(日)11:00~16:00まで東京有楽町駅前の東京国際フォーラムで、長野県及び県内の松本市、駒ヶ根市、中野市、飯山市、原村、 木曽町、信州新町が参加して「信州の田舎暮らしセミナー・相談会」が行われました。今年も私はオブザーバー・お手伝いで参加してきました。


メディアが団塊の世代の定年移住問題としてこぞって取り上げた一昨年・昨年とは変わって、今年はいたって落ち着いた雰囲気の中、さらにここに来てアメリカ発100年に一度といわれる程の世界的・急激な不景気で、長野県・信州への移住希望者の動向が気になっておりました。


いざふたを開けてみると、参加者の数は昨年並みだった感じです(200名位か)。
そして私が聞いた相談者の話から類推するに、今回参加した方々は数年前から考えたり準備をしてきた方が多く、直接今の不景気には影響を受けていない様でした。



ただ「将来的には漠然とした不安を感じるので、信州で‘地に足の着いた人間的な暮らし’がしたい」とか、コンピュータ開発で自営の30代男性は「仕事の70%が金融関係で、来年はかなり厳しそうなので一層転身・移住の思いは強くなっている」、「古民家に住みたいが貴重な蓄えを無駄には出来ないので、最初は現地の賃家にしばらく住んでみてじっくり決めたい」などという声が有りました。また何らかの形で農業に携わりたいという希望が20代から60代まで幅広く聞かれ、今現実の物となりつつある未曾有の先行き不安の中で、将来を模索する真剣な相談者の思いを感じました。


さらに私の総括的な感想としては、この急激な不景気で実は今、大半の人はこの先の動向を見極めるためにじっと様子見の状態で、その影響が「信州・長野県への移住・交流」に本格的に及ぶのは来年以降、そしてそれはこれから顕在化すると思われるリストラや倒産・廃業で都会暮らしを止めて地方へ移住しようとする人が増える(その中には地方で農業に携わりながら、自給自足的な生活を希求する人が多く含まれると思われます)一方、不景気で出来るだけ動かずに出費を抑えようと考える人(都会から動かない人)も増えるという、二つの相反する動きが出るような気がします。


また今年参加してみて、移住に当たって具体的な物件情報を求める相談者が多いので、次回は不動産関係の代表の参加が有ると、相談者の便宜にさらに良く答えられるのではと思いました。


追記
不景気が進行すると地方の就職先が減って、地方を捨てて都会へ出る人も増えるという事態も考えられます。ただ今将に進行している事態は、以前のように中国などに日本国内の、主に地方が担っていた単純加工の生産が移ってしまう事から起きる不景気ではなく、アメリカの購買力が激減したことが起因しているので、輸出で潤っていた名古屋を中心とする東海地方や、金融などアメリカから還流される外資の流入が大きかった東京すら例外ではないので、都会に行けば職に有り付けるとは必ずしも行かないのではないでしょうか。
長野県はエプソンなど一部の例外を除いてガリバー型の大企業は余り無く、精密・電子・機械・食品など様々な職種の中小企業が大変集積した地域です。余り知られていませんが優れた技術を持つベンチャー型の企業も多いです。ですから親亀が転けたら皆転けたと言うことはなく、その代わり小さな倒産や廃業などの浮沈は頻繁ですが、贅沢を言わなければ就職先は何とかなるのではないかと思います。甘いかな?

  


2008年11月30日 Posted by 胃がん退職者 at 22:30Comments(2)田舎暮らし