2007年11月10日
信州が消える?

ぎっくり腰がようやく治ってきたかと思っていたら、今度は昔下手なスキーで派手に転んでむち打ち症になった首に、寒くなるに連れ頸椎ヘルニアが出てきてしまい、肩から右腕にかけて痛みとしびれでキーボードを打つのもしんどい状態で、またまたブログをさぼってしまいました、という言い訳からのスタートはちょっと切ないです。
さて今回は去る11月4日午後1時半から、長野市問御所町の「TOiGO WEST」3階の市生涯学習センター第一学習室で開かれた、平成の大合併の際、全国で唯一隣の岐阜県中津川市と越県合併を行った旧木曽郡山口村のその後について、現地調査を行った酪農学園大(北海道江別市)の河合博司教授の報告会を聞きに行ってきましたので、その感想を記したいと思います。
旧木曽郡山口村の事情は逐一書くと大変長くなるので省略しますが、河合先生の話では、昭和33年の合併で中津川市と先行合併していた旧神坂(みさか)村民とも中津川市民とも、信州を抜けたため木曽との一体感も、もっと言えば信州でも美濃でもない非常にまとまりに欠けている状態であるという報告がありました。
私が思うに、一言で言えば本当にお気の毒としか言いようがないです。昭和33年の合併の時は、警察官が出る状態であったと聞くし、今回は住民の意向調査で大多数の住民が、勤めや買い物など生活が密接に結びついている中津川との合併に賛成していたのに、文豪島崎藤村が山口村の旧馬籠宿出身と言うことから、藤村が長野県出身でなくなるということはマズイと考える内外からの声で、すんなりといかなくなってしまった訳で、きっと藤村先生も草葉の陰で嘆いておられるかもしれません。私は基本はそこに住む住民の意思が最も大事で、周りの人が外野でとやかく言うものではないと言う気がします。もちろん研究者が純粋に公平な立場で、後世の参考になるべく研究することは大変重要なことだと思います。但しまだ3年も経たない現時点で結論を出すのは尚早だと思います。そして住民の皆さんも多数の方が越県合併を望んだのですから、こうなった今は周りの騒音に惑わされることなく、したたかに自らの幸せの実現に向けて歩んでいって欲しいと思います。時にはあの夕張市のように逆境をバネに、唯一の越県合併当事者としてその経験から全国に発信して欲しいです。
実は山口村問題を考えているとそれに関連して大きな課題に行き当たります。それは今中央で検討が始まっている「道州制」導入で、「信州」の未来が危ないと言うことです。なぜなら主に長野県の東北信は関東圏を望むでしょうし、中南信は中部圏を望むと思われるからです。特に今名古屋はトヨタ自動車をはじめ大変景気が良く元気です。一方東京も情報と富の集積がますます進んでいます。ですからこのままの状態では、かつての分県論のような、長野県が二分化されて大混乱に陥りかねないという危惧を感じます。一方私の県外を多く回った経験から、「信州」というブランドの持つ力のすごさは半端なものではないということが言えます。信州が二分されたらその神通力はなくなるのではないでしょうか。ですからもし万一「道州制」が導入されたとしても信州は割れては絶対にダメです。回りから魅力有る信州を取り込もうとあの手この手の誘いがあると思いますが、その時は分県論吹き荒れた県議会で自然巻き起こった「信濃の国」の大合唱が、また県民総出で再現されるのではないかという予感がします。